九州での行程を終え、自宅への帰路に着く。「青春18きっぷ」を使って普通列車だけで茨城県まで1000kmを超える道のりを帰る長い旅が始まる。九州でいろいろ興味深い場所を訪れ、美味しい物を食べてきたけれど、自分の中では今回の旅行のメインはこれからの部分かもしれない。「丸々一日列車に乗って移動する」という常人(?)から見るとかなり奇異にも見える旅が始まる。
博多駅構内のコンビニで明日の朝食とお茶、行動食そして寝酒(?)の缶チューハイを購入し、20:40頃ホームに上がるがまだ列車は入線していない。定刻20:53の直前に列車が入線して、ホームの乗客が乗込み、間もなく定刻より少し遅れて発車。車内は座席の1/4程度の乗客だが、おそらく小倉や下関でかなり乗ってくると思われる。発車後間もなくJR九州の車掌さんが車内巡回してきっぷの確認をする。下関でJR西日本の車掌さんに交替するはずだが、座席表に「京都まで」と記入して引き継ぐので深夜に起こされる心配はない。予想通り小倉発車時には7〜8割の座席に乗客が。下関で15分ほど停車して22:56発車、ほぼ全部の座席が埋まっている。
京都駅に停車中の「ムーンライト九州」
下関発車後間もなく眠りに入り、途中何度か目覚めるがすぐまた眠ってしまった。下関発車後車内の照明が減光されたようだが、何度目かに目覚めると既に車内が明るくなっており、「間もなく神戸に到着」とのアナウンスがある。神戸5:57発、三ノ宮、大阪、新大阪に停車して少しずつお客さんが減り定刻の7:05京都着。その間に車掌さんが車内を巡回して「青春18きっぷ」に本日分の日付印を押す。乗務しているのは下関所属の車掌さんで、下関地区限定のオレンジカードも販売しているとのこと。
ムーンライト九州の座席
今回利用した臨時快速「ムーンライト九州」号は、春夏冬の多客期だけ運転される臨時列車。快速なので普通乗車券と510円の指定席料金だけで乗車でき、「青春18きっぷ」も使えるので、鉄道旅行愛好家の間では人気が高い。使用車両はスキー列車「シュプール」号用に改造された、JR西日本所有の「14系客車」6両編成。座席は写真のような昼の特急列車の普通席とほぼ同じレベルのもので、リクライニング角がやや大きくなっているようである。
昔は自由席車が連結された事もあったが、「あまりの混雑で混乱が生じる」と言うことで、最近数年は全車指定席で運転されている。実際にお盆の帰省ラッシュ時期に自由席に乗車した人が、「通路はラッシュ時の通勤電車並みに混んでいて、トイレに行くのには、まるでフィールドアスレチックのように座席の背もたれを渡ってデッキにたどり着き、「個室」内の乗客2〜3人に出てもらって(爆笑!)やっと用を足せた」ということを話していた。
米原駅橋上コンコース
在来線ホームからは正面の階段を上ってくる。赤枠内がコインロッカー。
本日は
休日ダイヤのため接続は7:12の普通米原行きになる。車両は新快速にも使われている「221系電車」10両編成、米原着は8:23。ここで北陸本線に乗り換えて木之本まで往復するので、重い荷物をコインロッカーに預けようと思うが、ロッカーが見つからず、階段を下りて一度改札を出てしまう。改札の外にもロッカーは無かったが、新幹線乗換通路のところに有るということが判明したので、そこまで戻る。ホームから改札に向かって歩いているとロッカーの有る場所は壁の裏側になり、気づかなかったらしい。
木ノ本駅跨線橋と駅名標
荷物を収納して身軽になってホームに戻り、8:39発敦賀行の普通列車(車両は「419系電車」3両編成)に乗込む。途中から沿線に雪が積もっているのが見られ、北に進むに従って積雪が多くなってくる。木之本着は9:03、ホームは雪が5cm以上残っていた。木ノ本駅の跨線橋は古レールを鉄骨に使用した板張りの古風な物で、懐かしい藍色のホーロー鉄板製の大型駅名標が貼り付けられている。(
拡大写真)JRになってから地域ごとに統一した様式の駅名標を使うことが多くなったが、未だに国鉄時代から使われていると思われる懐かしい駅名標を見ることもある。この駅を含む区間は先月の福井出張の時に特急で通過したし、何度か普通列車でも通っている。通るたびに一度この駅で降りてみたいと思っていたが、今回ようやくそれが実現した。
419系電車の車内。天井付近に寝台が収納されている。
419系電車の座席。ほとんど特急車両時代のまま。
敦賀行き普通列車に使われている「419系電車」は元寝台特急を転用した変わり種の車両。国鉄の末期(おそらく1985年頃)に地方幹線で普通列車に使われていた老朽客車を近代的な電車に置き換えたかったが、巨額の累積赤字を抱える国鉄に新車を作る予算が無かった。そこでやむなく当時余っていた寝台電車を改造してローカル用に転用したという物。当時は「国鉄改革」実施後に新車を導入するまでの「つなぎ」として数年使えば良し、と言うつもりだったらしいが20年近く経っても使っている。
同様の改造車は九州と東日本(東北地区)にもあったが数年前に引退している。 寝台特急用といっても最初から昼夜兼用の設計で、東北本線の「はつかり」や九州の「有明」「にちりん」などの昼行特急にも使われた。時に10両以上といった長編成で使用されていたが、ローカル列車用としては3両で十分なので、中間車に運転台を付けて3両単位で運転できるようにした。元々平面だった連結面に運転台を取り付けたのでその形状から「食パン」というあだ名が付いている。改造したと言っても各車の中央の部分では座席もそのまま使っているし、寝台が収納されていた部分も、中味は撤去されても外観はそのまま。天井の照明や冷房機器にも寝台特急当時の面影がそのまま残っている。
左:「食パン」と呼ばれている中間車改造先頭車(米原駅)、右:オリジナル先頭車(木ノ本駅、公道上より撮影)。
参考サイト:
583系探検隊WEBページ
向かって左のピークが賤ヶ岳
いくら列車での旅が好きだとは言っても24時間乗り通しではさすがに飽きてしまうし、座席に座り続けでは身体の具合も悪くなりかねないので、すぐに米原方面へ折り返さず木之本でしばらく過ごすことにする。昼頃までここにいても、翌日の仕事に支障ない時間に帰宅できることを時刻表で確認してから駅前に出る。木之本には豊臣秀吉が柴田勝家を破って、天下取りを確固たる物にした戦の場となった、賤ヶ岳がある。事前に地図で駅と賤ヶ岳の位置関係と駅から登山口までの距離が約2km強であることは調べてあったが、駅前にある観光案内の大きな地図看板で再確認。踏切を渡った反対側に観光案内所があると言うことなので行ってみるが時刻が早すぎるのか閉まっている。案内所はバスターミナルに隣接しておりバスの路線図も掲示してあるが賤ヶ岳方面に行くバスはしばらく無いので、歩いてみることにする。
登山口近くの大音(おおと)地区にある粉掛地蔵
30分ほど歩くと「賤ヶ岳口」のバス停で、賤ヶ岳に行く道が国道から別れる。ここまで来ると賤ヶ岳が目の前に迫り、登山リフトが通っている場所が判るが、リフトが動いている気配はない。低山といえども麓で10cm近い積雪があり、アイゼンなどの雪山装備も、まともな地図すらも持っていない状態で登るのは無謀と判断して登山口付近まで行って引き返すことにする。登山口近くには観光案内の地図看板があり、その下には「粉掛地蔵」の納められた祠があった。来る途中バス停で時刻を確かめておいたので、急げば駅に行くバスに間に合うことが判っていたので、登山口まで行くことはあきらめ地蔵堂の写真を撮ってすぐに引き返すことにする。定刻少し過ぎにバスが来て駅まで乗車、約5分で駅前着。運賃は170円。米原方面の電車の時刻まで少し間があるので、観光案内所に行ってみる。今度は案内所が開いていたのでパンフレットを貰い、冬季賤ヶ岳に登ることは出来るか聞いてみる。リフトは11月で終了、歩いて登ることは可能だがそれなりの装備がないと危険、という予想通りの答え。やはり一度は雪のない季節に来て登ってみる方が良さそうだ。駅前で写真を撮り米原行き普通列車に乗り込む。往きと同じ419系3両編成。